受け継がれる麦藁手の器 / 小春花窯
2017年 10月 13日
2017.10.13
日本有数の窯業地、愛知県瀬戸市品野にて、
江戸時代から続く窯元「小春花窯」より麦藁手の器が色々と届いております。
小春花窯では、初代当主の加藤海三郎より代々受け継がれた
「麦藁手」と呼ばれる瀬戸伝統のたて縞の模様が特徴的な器です。
自ら裏山で採土してきた特別に鉄分の多い泥しょうを使って描かれた独特の縞模様が、
麦の穂を想起されることから「麦藁手」と名付けられました。
中でも「赤楽(あからく)」と呼ばれる地元の土を使って描かれた麦藁手は、
土の枯渇や需要の減少で、今ではほとんど生産されておりません。
少しくすんだ温かみのある赤黄色が特徴で、
生産を続けているのは品野でも小春花窯だけだと言われています。
もともと麦藁手の器は「赤楽」で作れたものが代表となりますが
こちらの麦藁手は、ひとつひとつ呉須で描かれており、
赤楽にちなんで「青楽」と呼ばれ、近年になって作られているものとなります。
昔から馴染みのある藍色が、「赤楽」とはまた違った凛とした表情をお楽しみ頂けます。
個人的に今回の入荷の中でも特に好きなのがこちらの丼ぶり。
横から見るフォルムがとても美しく、
スッと縦に伸びる麦藁手のリズムが力強くて存在感があります。
全てのラインナップの画像を掲載できておりませんが、
他にも、飯椀やそば猪口、湯呑み、丸鉢等がございます。
ご夫婦やカップルの方は、男女で「青楽」「赤楽」と
ペアで揃えられるのもお勧めですよ。
民藝運動の創始者、柳宗悦にも認められた瀬戸品野の「麦藁手」。
元々私たち自身が小春花窯の湯呑みやそば猪口を自宅で使用していた経緯もあり、
いつかお店でご紹介したいと思っていましたが、この伝統の「麦藁手」は一度、
技術が途絶えてしまうかもしれないという危機に面していました。
現在、小春花窯はほぼ全ての工程を現当主、加藤宏幸さんお一人で製作されておりますが、
数年前まではご家族三人での工房でした。
遡ること2013年秋に約40年もの間、麦藁手を描き続けてこられた、
絵付けの名工でお母様の万佐代さんが突然他界され、
その後、お父様で当主の俊次さんも他界され、伝統の麦藁手が途絶える危機に瀕しました。
当時、宏幸さんは同じ工房でも「麦藁手」とは異なる独自の絵付けを志向されていましたが、
ご両親が立て続けに逝去されたことにより、代々受け継がれて来た技が途絶えてしまうという危機感から
同じ「麦藁手」の仕事を受け継ぐご決心をされ、数年の修行の後、
技を習得され商品としての形が整い今に至っています。
今回新たに弊店でご紹介させて頂くにあたり、実際に宏幸さんにお会いして話を伺った際も、
「個人的な作家ものとして付加価値を高めていくことも考えましたが、
やはり代々受け継がれてきた民器のまま誰もが気軽に使える生活雑器としてありたい。」と
お話されていたのが今も心に残っています。
母から子へ受け継がれた「麦藁手」。
是非、お手に取ってご覧下さいませ。
日本有数の窯業地、愛知県瀬戸市品野にて、
江戸時代から続く窯元「小春花窯」より麦藁手の器が色々と届いております。
小春花窯では、初代当主の加藤海三郎より代々受け継がれた
「麦藁手」と呼ばれる瀬戸伝統のたて縞の模様が特徴的な器です。
自ら裏山で採土してきた特別に鉄分の多い泥しょうを使って描かれた独特の縞模様が、
麦の穂を想起されることから「麦藁手」と名付けられました。
中でも「赤楽(あからく)」と呼ばれる地元の土を使って描かれた麦藁手は、
土の枯渇や需要の減少で、今ではほとんど生産されておりません。
少しくすんだ温かみのある赤黄色が特徴で、
生産を続けているのは品野でも小春花窯だけだと言われています。
もともと麦藁手の器は「赤楽」で作れたものが代表となりますが
こちらの麦藁手は、ひとつひとつ呉須で描かれており、
赤楽にちなんで「青楽」と呼ばれ、近年になって作られているものとなります。
昔から馴染みのある藍色が、「赤楽」とはまた違った凛とした表情をお楽しみ頂けます。
個人的に今回の入荷の中でも特に好きなのがこちらの丼ぶり。
横から見るフォルムがとても美しく、
スッと縦に伸びる麦藁手のリズムが力強くて存在感があります。
全てのラインナップの画像を掲載できておりませんが、
他にも、飯椀やそば猪口、湯呑み、丸鉢等がございます。
ご夫婦やカップルの方は、男女で「青楽」「赤楽」と
ペアで揃えられるのもお勧めですよ。
民藝運動の創始者、柳宗悦にも認められた瀬戸品野の「麦藁手」。
元々私たち自身が小春花窯の湯呑みやそば猪口を自宅で使用していた経緯もあり、
いつかお店でご紹介したいと思っていましたが、この伝統の「麦藁手」は一度、
技術が途絶えてしまうかもしれないという危機に面していました。
現在、小春花窯はほぼ全ての工程を現当主、加藤宏幸さんお一人で製作されておりますが、
数年前まではご家族三人での工房でした。
遡ること2013年秋に約40年もの間、麦藁手を描き続けてこられた、
絵付けの名工でお母様の万佐代さんが突然他界され、
その後、お父様で当主の俊次さんも他界され、伝統の麦藁手が途絶える危機に瀕しました。
当時、宏幸さんは同じ工房でも「麦藁手」とは異なる独自の絵付けを志向されていましたが、
ご両親が立て続けに逝去されたことにより、代々受け継がれて来た技が途絶えてしまうという危機感から
同じ「麦藁手」の仕事を受け継ぐご決心をされ、数年の修行の後、
技を習得され商品としての形が整い今に至っています。
今回新たに弊店でご紹介させて頂くにあたり、実際に宏幸さんにお会いして話を伺った際も、
「個人的な作家ものとして付加価値を高めていくことも考えましたが、
やはり代々受け継がれてきた民器のまま誰もが気軽に使える生活雑器としてありたい。」と
お話されていたのが今も心に残っています。
母から子へ受け継がれた「麦藁手」。
是非、お手に取ってご覧下さいませ。
by shop-migratory
| 2017-10-13 17:31